約3万年前の人間が言葉という技術を使い出した頃にまで遡れる。
よく混同される情報とデータを整理しておくと、データとは、言い換えると記録であり、情報とは価値のあるデータである。測定した数値だったり、日付や時間だったり、文、写真、音などの記録、またそれらの組み合わせが該当する。現代において、それらは何らかの形で数値に置き換えられて、記録媒体に保存され、ネットワークを介して転送される。
情報=価値あるデータ、では、価値とは何か?価値というのは相対的なもので、ある人にとっては価値があっても、別の人にとってはなかったりする。また、時間によって価値は増えたり減ったりもする。同じデータでも受け取る人によって、それは情報だったり、そうでなかったりする。つまり、情報は与えるものではなく、受け取るものである。
オープンデータの議論において、オープンにするデータにはどんな価値があるのかという話がよくされるが、オープンにされたデータが価値あるかどうかは、そのデータを受け取る人が決めることなので、試しにオープンにしてみることをオススメする。データ単体ではあまり価値を感じる人がいなかったとしても、他のデータと結びつくことで価値が生まれることがある。
かつて、情報の氾濫がよく言われたが、価値を捉えられていない時点でそれは情報ではなくデータである。むしろ、データはもっと氾濫というか、膨大な量がオープンとなることが期待されている。ひとつひとつは小さなデータだとしても、全世界分集まれば、人類未踏の新たな発見、つまり情報となる可能性が高い。所謂、ビッグデータへの期待である。
新たな世界のベースとなる行政によるオープンデータ=オープンガバメントの更なる進展が楽しみである。