2013-07-08
私のプログラミング人生は、MSXで始まりました。
(MSXはOSの一種で、MSX規格に沿ったパソコンがSONY、Panasonic、CANON、CASIOなどいろんなメーカーから販売されていました。)

名古屋に住んでいた小学3年生(1987年)の頃、男の子は誰もがファミコンに夢中でした。 隣のマンションに住む友達が持っていた、ファミコンのゲームが自分で作れるファミリーベーシックに衝撃を受け、親にねだる。 学校から帰ると、なんとそこにはMSX(CANON V-10)が! 名古屋の栄のど真ん中、安さ一番トップカメラの店員さんにこっちの方がいいよと勧められたとのこと。

欲しかったものとは違ったものの、テレビゲームを作ることができるらしいことが分かり、ついてきた説明書を見よう見まねで打ち込んでみる。 ランダムに決まった数字をキーボードで打ち込み当てる、シンプルな数当てゲームが確か最初に作ったゲームでした。 インベーダーゲーム風なものや、お絵かきするものなど、いまいち分からない部分がありながらも、打てば動くこと自体が楽しい。

図書館のMSXコーナーでいろんな本を借りてきては打ち込み、遊ぶ、ということをやっているうちに発見した"MSX FAN"、読者投稿プログラムがたくさん掲載されていました。 中でも、MSXのプログラミング入力画面、40文字x24行にぴったり収まる1画面部門というものが、短いプログラムで楽しめるお気に入りコーナーでした。 ところが、月が進むごとに自分の持っているMSXではスペック的に動かないものが増えていき、また、保存するすべがない(正確にはテープ保存はできたけど成功させられず)点が辛くなってきました。

そんな中登場したのが、MSX 2+(Panasonic FS-A1WSX)。 フロッピー(2DD)で保存できるだけでなく、メモリ量、グラフィック性能が大幅に向上していました。 ただ、値段も高く7万円という金額はとても小学5年生(1989年)のお小遣いでは手が出ません。 そこで、ワープロとしても使えることを親にアピールしつつ交渉し、ファミコンを手放すという条件付きがついたものの晴れて手に入れることができました。 保存ができるようになり、見よう見まねで打ち込むだけだったプログラムも自分で好きなように改造したり、少しずつ自分で作りたいものを作れるようになっていきました。 この頃の力作は、小学6年生の夏休みの自由研究のランダムドットステレオグラム作成ソフト。 一見じゃみじゃみ(福井弁でテレビの砂嵐のこと)の絵を視点を奥にずらすと立体模様が浮かび上がる"ランダムドットステレオグラム"が大好きでした。 パソコンを持っていくことなんてもちろんできず、プリンタもインクリボン式のモノクロだったので、画面をフィルムカメラで撮って、プリントした写真を貼った発表用の模造紙を持って行きました。

この頃のパソコン少年共通の憧れといえば、BASICでは遅すぎる処理を高速化する機械語(マシン語)でした。 MSX FANでのマシン語入門をきっかけに、Z80というMSXに搭載されたマイコンのニーモニック(命令群)に触れ、 手でプログラムからマシン語に変換するハンドアセンブルをノート上で行い、MSXに打ち込み動いた時の感動は今でも忘れません。

中3(1993年)で福井へ引越し、楽しみにしていた修学旅行が福井では中2ですでに終わってしまっていたことを引き換えに手に入れた、MSX製品史上最強のMSX turbo R(Panasonic FS-A1GT)。 MSX FANに掲載の予告がありながらも版権の関係で遊べなかったカードゲームUNOを、自作したのが、私のBASIC歴、最大で最後の作品となりました。 GUIがまだ一般的でない頃でしたがマウス対応、UNOの特殊カードは流暢な英語辞書の音声を借り、残り一枚の時に叫ぶ「ウノ!」は10歳下の妹の声と当時としてはなかなか豪華な作りでした。

中学校の担任の先生にプログラミングをやっているという話をしたら紹介された高専への進学を決め、電子情報工学科に入学。 入学時に全員購入となったポケコン(ポケットコンピュータ、SHARP G-805)が、MSXと同じZ80マイコンだったことと、 当時近所にあった古本屋さんで見つけたポケコンジャーナル(PJ)に掲載されていたMSXとの接続ケーブルの作り方でひらめき、MSXでポケコン用ソフトが作れるC言語の開発環境を作成(MacでiPhoneアプリを作るような感じ)。 ヘビゲームや、砦の攻防をポケコン用に作って、クラス内の友達に配って遊んでいたのが、今思うと現在のモバイルアプリ開発の原体験的でした。

アセンブラより格段に生産性の高いC言語をメイン言語としていく中、プログラムを実行するまでの時間(コンパイル時間)が、高専にあったPC98では一瞬、家のMSX turbo Rでは1分という圧倒的な速度差を訴え、 AT互換機(組み立てDOS/Vパソコン、Pentium90MHz)を買ってもらい、ついに、MSXの卒業となりました(1995年)。 こうして振り返ってみると、今の人生、MSXで決まったようなものですね。 名古屋で母親にMSXを薦めてくれた店員さんと、なんだかんだと4台ものパソコンを買ってくれた親に大感謝です。

今年(2013年)、鯖江のハードオフで見かけたMSX(CASIO PV-7)、中身は新品同様というか未使用品じゃないかと思われる超美品を900円という破格で保護しました。 折しも、MSXが誕生してちょうど30周年の年、改めて、MSXに、また、MSXを支えた多くの人に感謝です。 MSXで与えてもらった感動を、一人でも多くの子供に与えたいと思います。 MSX魂は永遠に不滅です!

Tweet
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
本ブログの記事や写真は「Creative Commons — CC BY 4.0」の下に提供します。記事内で紹介するプログラムや作品は、それぞれに記載されたライセンスを参照ください。
CC BY / @taisukef / アイコン画像 / プロフィール画像 / 「一日一創」画像 / RSS