2014-02-05
昨日の中学校での職業講座で、ゲームが好きな子を挙手してもらったら全員手をあげ、勉強好きな子に挙手してもらったら0。恥ずかしいのかと思って、嫌いな子に手をあげてもらったら全員手をあげました。

集団効果かもしれないですが、少しくらい勉強好きがいても、ゲーム嫌いがいてもいいと思っていたので意外でした。そこで余談として話した「勉強とゲームは一緒論」を書いてみます。「ゲームも勉強もポイントがあって、競い合うもの。単に今みなさんがやっている勉強というゲームは、つまらないだけ、いわゆる、クソゲーだ」と話しましたが、それを体感してもらうゲームを作ってみました。

ゲームであれば何でもいいのですが、2012年の一日一創から人気ゲーム「幸せ探しゲーム」をセレクト。右側に置いてあるので、「いじわるモード」を押してみてください。

いきなりでる難問にやる気を無くしましたか?よしやってみようという気になりましたか?次に、「最初からやりなおす」を選んで、「ふつうのモード」を押してください。簡単です。徐々に難しくなっていき、最後は「いじわるモード」の最初と同じ難易度になります。

何かを学ぶとき、学び方はいくつもあります。いきなり難易度の高いものに挑んで挫折しては意味がなく、簡単なところからコツをつかみ、楽しみながらレベルを徐々に上げていくのが上達の近道です。好きこそものの上手なれ、嫌いになってしまっては上達するわけがありません。

科目との相性によって、いきなり難しすぎたり、簡単すぎてだれたりして、嫌いになってしまうのが勉強です。今の学校の勉強は、一人ひとりに合わせてゲームバランスをとっているわけではないので、自分なりの勉強方法を見つけて楽しめるかどうかが分かれ道となります。私は小3あたりから始めた進研ゼミ(チャレンジ)で、学校の先生の教え方ではない勉強方法があることを知り、変な質問をしたことを先生に褒められたことがきっかけで勉強好きになりました。

子供の課金ゲームや、ゲーム中毒が問題となっていますが、勉強と違ってゲームは飽きさせないため工夫が満載です。一人ひとりに合わせ自動的にゲームバランスを計算したり、うまい演出で徹底的に褒めたり、優越感を感じさせたりします。相対的に勉強のおもしろさが下がってしまっているのでしょう。

なぜ勉強しなければならないの?答は簡単、学び方を知らないと社会で生きていけないからです。勉強の目的が、学習の仕方を習得することにあると最初に教えてみてはどうでしょう?学校の勉強には、生活に必須だからやる科目とそうでない科目がごっちゃになっています。字は読めないと困りますが、分数の割り算はできなくても困りませんし、歴史年表は覚えなくても生きていけます。必須でない科目は、一生涯必要となる学習する仕方を学ぶための練習です。学校は、学び方を学んだら卒業すればいいのです。

しあわせ探しゲームの「いじわるモード」を楽にクリアする方法があります。それは"検索/CTRL-F"です。ゲームのルールとして禁止しているわけではないのでズルではありません。自分なりのクリアの仕方を考えることこそ、本来学校で教えるべきことだと思います。私は高専の授業中、ずっと一人でノートパソコンを開いていました(ノートですからw)。

危惧しているのは、投げっぱなし感あふれる昔のファミコンゲームと違い、至れりつくせりの最近のよくできたゲームです。大人ですらハマってしまうゲームに、子供がその誘惑に対抗するのは難しいでしょう。本来の遊びとは、その場の参加者の力量や環境、時間などに合わせて、参加者全員が楽しめるようルールを柔軟に変化させるものです。子供の頃遊んだ外での遊びはまさにこれ。1台のファミコンを複数人でどう交代するか決めるのも近いものがあります(間違うとケンカになりましたねw)。また、子供の頃使っていたパソコンMSXでは、ゲームは改造して遊ぶものでした。

誰かの作った世界で遊ばせてもらう快楽ではなく、自ら世界を作る本質的な楽しさを知ってもらいたい。子どもたちにプログラミングクラブをやってみようと強く思った職業講座となりました。鯖江中学校さんには、良い機会いただき、改めて感謝です。ありがとうございました!

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